志尊淳がトーク番組『A-Studio』や『おしゃれクリップ』などで明かした家族エピソードには、飾らない人間臭さと深い情愛が満ち溢れています。
幼少期の姉との関係は、決して「甘やかされた末っ子」というおとぎ話ではありませんでした。自己主張の強い姉と負けず嫌いな志尊淳は、日常的に激しい口喧嘩を繰り広げていたといいます。遠慮のない言葉の応酬や小競り合いは、厳しい現実の中で生き抜くための感情の発散場所でもありました。姉は弟が人気俳優になった後も態度を一切変えず、テレビ画面の向こう側のスターではなく「生意気な弟」としてフラットに接し続けています。
そして、家族の歴史における最大の転換点が、志尊淳が17歳の時に決行した「家出」でした。芸能活動を本格化させるにあたり、「自分の力だけで生き抜く覚悟を示さなければならない」と痛感した志尊淳は、家族に相談することなく住民票を移し、一人暮らしを始めました。退路を断つため、約1年間にわたって家族との連絡を自ら完全に遮断したのです。
当然ながら、母親や姉は激しいショックを受け、心配のあまり憔悴した日々を送りました。しかし、1年の歳月を経て再会を果たした際、姉は弟の無謀とも思える覚悟と、実際に自活して俳優の道を切り拓きつつあった姿を目の当たりにし、その選択を静かに受け入れました。感情的な非難ではなく、「あんたが本気で生きていくなら見届ける」という腹の括り方をしたのです。この痛みを伴う別離と再会が、互いを「甘え合う家族」から「互いの人生を認め合う同志」へと昇華させました。