現代の感覚からすれば「なぜここまで過剰に名前を連ねる必要があったのか」と不思議でならないはずです。しかし、1881年10月25日にスペイン南部の港町マラガで彼が産声を上げた当時の状況を検証すると、そこには切実かつ合理的な理由が存在していました。
最大の背景は、アンダルシア地方を中心とするスペインの敬虔なカトリック命名慣習です。スペインでは伝統的に、生まれた子どもに対して洗礼時にゆかりのある聖人や代父母、祖父母、叔父叔母の名前を次々と与える風習がありました。多くの聖人名を冠することで、子どもが人生のあらゆる局面でその聖人たちの加護を受けられると強く信じられていたためです。
さらに見逃せないのが、ピカソの出生時に起きた「生命の危機」です。当時の記録や一族の手記によると、ピカソは仮死状態で生まれ、立ち会った産婆は赤ん坊が息をしていないのを見て死亡したものと諦めかけていました。そのとき、現場にいた医師の叔父ドン・サルバドールが吸っていた葉巻の煙を赤ん坊の顔に吹きかけ、驚いたピカソが激しく泣き声を上げたことで奇跡的に息を吹き返したという逸話が残されています。
19世紀末のスペインは乳幼児の死亡率が極めて高く、無事に成人できる保証はどこにもありませんでした。死の淵から息を吹き返した長男に対し、両親や親族が「二度と悪霊や病魔に連れ去られないように」と、ありったけの守護聖人と一族の尊崇する名を注ぎ込んだ結果が、この類まれな長大なフルネームを生み出す決定打となったのです。