1988年12月、BOØWYを頂点で解散させたギタリスト・布袋寅泰と、アイドルから本格派ロックシンガーへと脱皮を図っていた吉川晃司が手を組むというニュースは、当時の日本の音楽界に激震を走らせました。しかし、1989年4月のデビューから、1990年11月8日の東京ドーム公演をもって活動休止(実質的な解散)に至るまで、彼らが駆け抜けた時間はわずか1年11カ月に過ぎませんでした。
短期間での活動休止について、メディアでは長年「吉川晃司 布袋寅泰 不仲説 和解」というセンセーショナルな見出しで語られ、スタジオ内での殴り合いや絶縁といった噂が独り歩きしました。しかし、後年の自著や特番インタビューで本人が語った実情を紐解くと、事態の本質は単なる感情論ではなく、「COMPLEX 解散理由 真相」と呼ぶべきクリエイター同士の深刻な表現手法の衝突にありました。
吉川晃司は元水球日本代表の経歴を持ち、ライブという現場で身体性を極限まで開放し、観客とダイレクトにエネルギーを交換するフィジカルなロッカーでした。一方の布袋寅泰は、スタジオワークにおいて1音の抜き差しや音像の構築にミリ単位でこだわる緻密なサウンドプロデューサー・構築派でした。初期の衝動が形となったファーストアルバム『COMPLEX』から、より実験的で冷徹な世界観へと進んだセカンドアルバム『ROMANTIC 1990』の制作期には、楽曲のアレンジやユニットの進むべき方向性を巡って妥協なき議論が繰り返され、二人の巨大な自我が衝突を避けることは構造的に不可能となっていったのです。