信長ファンや歴史研究者が実際に現地を訪れた際、各墓所が放つ空気感や受け止め方には明確な差異が存在します。寺院関係者や現地を歩く歴史愛好家の証言から、リアルな現状を浮き彫りにします。
京都市街の喧騒から外れた今出川通近くにひっそりと佇む阿弥陀寺を訪れると、観光寺院化されていない厳かな空気が漂います。境内奥の墓地には「織田信長公本廟」と刻まれた石碑とともに、討死した森蘭丸ら家臣団の墓が信長を取り囲むように並んでいます。現地を頻繁に訪れる歴史研究者は次のように語ります。
「阿弥陀寺の墓前に立つと、作られた英雄像ではなく、本能寺で無念の死を遂げた肉体を持つ一人の武将としての信長が生々しく迫ってきます。秀吉の弾圧を受けながらも墓を守り抜いた寺の気骨が、石塔の佇まいから伝わってきます」
対照的に、大徳寺総見院は特別公開期間を除き非公開の格式高い空間です。秀吉が植えたとされる樹齢400年を超える侘助椿(わびすけつばき)や、堀秀政ら織田家重臣が寄進した堂宇は、信長の慰霊という名目を借りた「豊臣政権の権力構造の可視化」そのものです。訪れる参拝者からは「秀吉の圧倒的な政治的執念に圧倒される」という声が多数聞かれます。
さらに、和歌山県の高野山奥の院にある織田信長の墓石(五輪塔)は、かつて高野山を攻め立て数千人の僧侶を弾圧した信長自身が、皮肉にも弘法大師の膝元で最も手厚く供養されているという歴史の奇縁を体感できる場所として、国内外の参拝者が絶えません。