生涯独身とはいえ、波乃久里子が恋をしてこなかったわけではありません。華やかな昭和芸能界において、共演者や文化人との交際が週刊誌などで取り沙汰された時期もありました。
過去の対談番組において、彼女は淡い恋心やプロポーズめいた言葉をかけられた経験について聞かれた際、こう語っています。
「若い頃には『この人と一緒に暮らしたらどうなるかしら』と思った殿方もいらっしゃいました。でもね、家に帰って父(十七代目)や弟(十八代目)の姿を見ると、どうしても色褪せて見えてしまうの。彼らは家の中でも24時間、芝居のことばかり考えて命を削っている。その迫力を知っているから、並大抵の男性にはついていけなかったのね」
さらに、新派の舞台という自らの足場に対する並々ならぬ誇りもありました。もし梨園の妻として嫁げば、自らの役者人生を諦め、夫を支える裏方に徹しなければならなくなります。「自分自身が舞台の上に立つ役者でありたい」という強い自負が、彼女を踏みとどまらせたのです。