1912年に完成した旧余部橋梁は、当時の日本が威信をかけて建設した土木技術の結晶だった。アメリカから輸入された鋼材を用い、急峻な谷を跨ぐ真紅のトレッスル構造は、半世紀以上にわたって山陰の険しい鉄路を支え続けた。だが、この優美な橋の歴史を語る上で、1986年に発生した列車転落事故という深い痛恨の記憶を避けて通ることはできない。日本海からの突風にあおられた回送列車が谷底へと落下し、地元の水産加工場を直撃した悲劇は、今も地域の人々の胸に深く刻まれている。
安全運行という鉄道の絶対命題のもと、西日本旅客鉄道が主導して進められたのが「余部橋梁架替事業」だった。2010年、惜しまれつつも役目を終えた旧鉄橋は、強固なコンクリート橋へとバトンを渡した。しかし、地域住民や全国の鉄道ファンから寄せられた「橋の記憶を残してほしい」という熱烈な声が行政を動かす。旧橋脚の西側3基とレールの一部を保存し、2013年に展望施設として再生させた。悲劇の教訓と近代化への誇りが、この空中遊歩道には同居している。