「顔は分かっている」「最初の1文字が『サ』行だった気がする」——そこまで情報が揃っていながら、肝心な単語だけが口から出ない状態には、明確な学術名が存在します。喉まで出かかっている 現象名は、心理学および認知神経科学において「舌先現象(Tip-of-the-Tongue現象、通称TOT現象)」と呼ばれています。1966年に米国の心理学者ロジャー・ブラウンとデイヴィッド・マクニールが発表した実験研究によって広く知られるようになり、舌先現象 心理学の分野では半世紀以上にわたって研究が続けられてきた古典的かつ奥深いテーマです。
では、一体なぜ脳は突如としてフリーズしてしまうのでしょうか。言葉がパッと出ない 理由を神経科学の観点から紐解くと、脳内の情報処理における「二段階の検索ステップの分断」が浮き彫りになります。
人間が言葉を発する際、脳はまず左側頭葉に蓄えられた概念やイメージ、関連エピソードといった「意味情報(レンマ)」を検索します。次に、その概念に対応する文字の並びや音の響きといった「音韻情報(レキシム)」を側頭後頭接合部から前頭葉にかけての言語ネットワークを通じて引き出し、運動野へと指令を送ることで初めて発話が成立します。
TOT現象が発生している最中、脳内では「意味情報」のアクセスには完全に成功しています。「背が高くて、あのSFアクション映画に出ていて、最近アカデミー賞を獲った」という周辺情報はすべて手元にある状態です。ところが、意味情報から音韻情報へと至る神経伝達の接続経路に一時的なノイズや遮断が発生し、ラベルである「名前の音」だけが引き出せなくなっています。つまり、記憶そのものが消去されたのではなく、記憶の引き出しの取っ手だけが一時的に外れてしまった状態にほかなりません。
さらに厄介なのは、脳が間違った類似の名前を一度想起してしまうと、その誤った音韻情報が神経回路をブロックしてしまう「競合的抑制」が働く点です。思い出そうと焦れば焦るほど、関係のない別の単語が意識を占領し、ますます本命の言葉から遠ざかる悪循環に陥ります。