Q1:沖田畷の戦いと桶狭間の戦いの共通点は何ですか?
A1:圧倒的な兵力差を誇る大軍の総大将(今川義元・龍造寺隆信)が、寡兵の敵軍による奇襲・地形を利用した戦術によって直接討死した点が共通しています。どちらも一戦で大大名の勢力基盤が揺らぎ、地域の勢力均衡が激変しました。
Q2:龍造寺隆信の遺体や首はどうなったのですか?
A2:隆信の首は島津軍によって検分された後、肥前へ返還の申し出がなされましたが、龍造寺側は敗戦の屈辱や政治的判断から受け取りを一時拒否したと伝わります。現在は佐賀市内の高傳寺や島原の願高寺などに供養塔や墓所が残されています。
Q3:なぜ島津家久はこれほど戦上手だったのですか?
A3:島津四兄弟の末弟である島津家久は、耳川の戦い、沖田畷の戦い、戸次川の戦いと、戦国屈指の大戦すべてで寡兵を率いて大軍を撃破した不敗の名将です。戦場の地形を徹底的に下調べし、敵の心理状態を突く伏兵戦術と鉄砲運用において卓越した才能を持っていました。