ハンセン病は、らい菌による感染症であり、感染力は極めて弱く、治療薬(プロミン)の普及によって1940年代後半には完全に治癒する病気となっていました。しかし、日本政府は1953年に「らい予防法」を制定し、治癒可能な時代に入った後も患者の強制隔離・終生隔離を継続しました。
さらに、地域住民を巻き込んだ「無らい県運動」によって、患者やその家族は苛烈な密告と差別の標的となりました。故郷を捨て、偽名を使わざるを得なかった元患者たちの手記には、「自分という存在が戸籍からも家族の記憶からも消された」という魂の叫びが刻まれています。
法が廃止されたのは1996年という驚くべき遅さでした。その後、元患者たちが立ち上がった「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」において、2001年5月、熊本地裁は国の隔離政策の継続を違憲とする画期的な判決を下し、国は控訴を断念して公式謝罪に至りました。ハンセン病問題の真相と経緯を辿ると、医学的知見を無視した硬直的な行政機構と、異端を恐れて排除に加担した社会全体の弱さが浮き彫りになります。