誠道会の歴史を紐解く上で避けて通れないのが、母体であった指定暴力団・道仁会(福岡県久留米市)の跡目争いです。2006年5月、道仁会の二代目会長が引退を表明し三代目会長を指名した際、これに反発した副会長の小林哲治(初代・九州誠道会会長)や傘下組長らが離脱し、同年「九州誠道会」を結成しました。
ここから約7年間にわたる泥沼の対立抗争が勃発します。自動小銃や手榴弾が使用されるなど白昼の住宅街や病院で銃撃事件が相次ぎ、2007年には佐賀県武雄市の病院で一般市民が組員と誤認されて射殺される痛ましい事件が発生。社会全体に大きな衝撃と恐怖を与えました。
歴代の最高幹部としては、初代会長の村神長二郎(本名・朴政浩、のちに浪川政浩と名乗る体制へ移行)が組織運営を主導。強固な統制と独自のネットワークで勢力拡大を図りましたが、激化する警察の取り締まりと司法の追及により、組織の改編を余儀なくされていきました。