なぜ沖縄に米軍基地は集中するのか?辺野古移設と2026年の現実

なぜ沖縄に米軍基地は集中するのか?辺野古移設と2026年の現実

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沖縄に基地が多い理由として、政府や安全保障専門家は「台湾海峡や朝鮮半島に近く、部隊を迅速に展開できる地政学的重要性」を筆頭に挙げます。確かに地政学的な位置付けは重要ですが、それだけで7割超の偏在を説明することはできません。歴史を紐解くと、そこには軍事戦略以外の強烈な政治力学が作用していました。

1945年の沖縄戦末期、米軍は上陸と同時に住民を収容所に隔離し、集落や農地をブルドーザーで均して軍用滑走路を急造しました。これが基地形成の第一歩です。そして1952年、サンフランシスコ平和条約が発効して日本本土が主権を回復する一方、同条約第3条により沖縄は日本から切り離され、米国の施政権下に置かれました。

決定打となったのは1950年代半ばの本土反基地闘争です。山梨県・山中村の米軍演習場反対運動や、東京・立川飛行場の拡張に反対した「砂川闘争」など、本土各地で激しい基地反対運動が巻き起こりました。主権を回復したばかりの日本政府と世論の反発に直面した米軍は、本土での訓練継続が困難と判断し、日本国憲法の適用外で抗議運動を軍靴で抑え込める「施政権下の沖縄」へと海兵隊などの主力部隊を一挙に移転させました。歴史的資料が示す通り、沖縄の基地集中は「本土側の拒絶反応を沖縄に転嫁した結果」として固定化された側面が否定できません。

1972年の本土復帰後も、この構造は温存されました。本土の政治家や防衛省関係者が沖縄の負担軽減を口にしつつも、いざ海兵隊や訓練機能の本土引き受け案が浮上すると、受け入れ候補自治体で激しい反対運動が起き、計画が立ち往生します。いわゆる「NIMBY(Not In My Back Yard=必要だが自宅の裏庭には来るな)」の心理が本土社会全体に根強く存在し、リスクと負担の分散を拒み続けているのが、移転が進まない深層の理由です。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。