シベリア出兵の直接的なきっかけは、1917年に起きたロシア革命です。レーニン率いるボリシェヴィキが権力を掌握し、世界初の社会主義政権が誕生したことで、第一次世界大戦の構図は激変しました。ソビエト政権はドイツと単独講和(ブレスト=リトフスク条約)を結び、東部戦線から離脱。これに危機感を抱いた英仏米をはじめとする連合国は、対独戦線を維持し、共産主義の波及を阻止するためのロシア革命と対ソ干渉戦争へと舵を切ります。
しかし、主権国家の領土に武力介入するには、国際社会を納得させる法的な口実が不可欠でした。そこで浮上したのがチェコ軍団救出という名目です。
チェコ軍団とは、オーストリア=ハンガリー帝国軍からロシア軍に投降・合流し、祖国の独立をめざして戦っていた約5万〜6万人の部隊です。彼らは西部戦線へ転戦するため、シベリア鉄道を経由してウラジオストクから海路欧州へ向かおうとしていましたが、鉄道沿線でソビエト赤軍やドイツ・オーストリア軍の元捕虜と武力衝突を起こし、沿線各地で孤立。アメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領は1918年7月、このチェコ軍団を安全に撤退させる人道支援を旗印に、日米共同での限定的な派兵を日本政府に正式提案しました。
日本側はこの提案を渡りに船として受け入れました。当時の外務省や陸軍は、ロシア極東の権力空白に乗じ、大陸における地保を固める好機と捉えたのです。こうして「友軍のチェコ兵を助け出す」という美名のもと、近代日本史上稀に見る長期かつ不毛な軍事干渉の幕が上がりました。