『FNS歌謡祭』が最初からホテルの宴会場で開催されていたわけではありません。番組の歴史を紐解くと、時代ごとの音楽業界の力学とテレビ演出の挑戦が浮き彫りになります。
1974年にスタートした初期の『FNS歌謡祭』は、日本レコード大賞や日本歌謡大賞と並ぶ厳格な「賞レース(コンテスト形式)」でした。そのため、歴代の会場には中野サンプラザや日本武道館といった、本格的な音響設備と観客席を備えた大規模コンサートホールが選ばれていました。当時の熱気あふれる会場審査員席や、張り詰めた緊張感の中で受賞者が涙を流す光景を覚えている往年のファンも少なくありません。
大きな転換点を迎えたのは1991年です。音楽シーンの多様化に伴い賞レース形式を撤廃したフジテレビは、番組のコンセプトを「アーティスト同士がリスペクトを捧げ合う年に一度の音楽の祭典」へと大胆にリニューアルしました。その際に白羽の矢が立ったのが、建築家・村野藤吾氏の晩年の傑作として名高いグランドプリンスホテル新高輪の「飛天」でした。
なぜホテルを選んだのか。当時の制作陣が意図したのは、従来の「ステージと客席」という上下関係を解体し、「演者自身が最高の観客になるディナーショー形式」の創出でした。天井高約7.3メートル、広さ約2,000平方メートルを誇る無柱の大空間は、数々の巨大なムービングライトを吊り下げ、複雑な動線を確保するのに極めて適していました。ホテルの気品ある内装が、そのまま豪華な天然のセットとして機能したのです。