順風満帆に見えた結婚生活でしたが、わずか約4年半後の2009年4月にふたりは離婚届を提出し、正式にピリオドを打ちました。章胤さんが4歳の春のことです。
離婚当時、一部のゴシップ報道では「パーティーの席で夫に土下座を強要した」といった真偽不明のバッシング記事が世間を騒がせました。しかし、冨永愛さんは後に緊急記者会見を開き、そうした悪質な噂をきっぱりと否定しています。後に上梓された自叙伝『あいすること あいされること』(講談社)の生々しい手記において、離婚に至った本質的な理由が告白されています。
その根底にあったのは、「世界を股にかけるトップモデルの多忙さ」と「異国の地で職人として生きる夫との生活リズムの乖離」でした。冨永愛さんは出産後、わずか半年でランウェイへ復帰。幼い章胤さんを抱えてパリ、ミラノ、ニューヨーク、東京を往復する過酷なスケジュールをこなしていました。一方で、現地で地道な職人生活を送る夫との間には、物理的な距離だけでなく、互いが背負うプレッシャーや家庭生活に対する価値観のズレが次第に広がっていったと述懐されています。
「どちらかが一方的に悪かったわけではない」。夫婦としての対等なパートナーシップを模索した結果、互いの尊厳を守るために選んだ前向きな決別であったことが、当時の証言から浮かび上がります。