1945年8月の敗戦に伴い、岸は巣鴨プリズンへと収監された。極東国際軍事裁判においてA級戦犯容疑者として指定され、絞首刑となった東條らと同じ運命を辿るかに見えた。しかし、冷戦の激化に伴いアメリカの対日占領政策が「非軍事化」から「反共の砦化」へと急転換する逆コースの波が押し寄せる。
アメリカ政府にとって、反共主義者であり、卓越した行政能力と財界パイプを持つ岸は利用価値の高い逸材だった。1948年12月、東條らの処刑翌日に不起訴となって釈放。娑婆に戻った岸は電光石火の勢いで政界復帰を果たす。1955年の保守合同を仕掛けて自由民主党を結党させ、初代幹事長に就任。釈放からわずか9年後の1957年、第56代内閣総理大臣の椅子に座っていた。地獄の淵からの生還劇である。