鉄砲伝来の真相と新説!1543年種子島漂着の裏に潜む戦国の真実

鉄砲伝来の真相と新説!1543年種子島漂着の裏に潜む戦国の真実

鉄砲伝来の真相と新説!1543年種子島漂着の裏に潜む戦国の真実にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

日本の歴史において最も有名な年号の一つが、鉄砲伝来の天文12年(1543年)8月25日です。学校教育の語呂合わせでは「以後予算(1543)が増える鉄砲伝来」や「以後は見事(1543)な火縄銃」として親しまれてきました。しかし、この船がどこから来て、誰が乗っていたのかという実態については、長らく一面的な理解にとどまっていました。

江戸時代初期に禅僧・南浦文之が記した第一級史料『鉄砲記』によると、船が漂着したのは現在の鹿児島県種子島南端に位置する種子島門倉岬(前之浜)でした。船には百余人の異国人が乗っており、言葉は通じないものの、明国の儒生である五峰(ごほう/後期倭寇の頭目として知られる王直)が砂浜に杖で文字を書いて筆談を行いました。

乗船していたポルトガル人の商人(『鉄砲記』では牟良叔舎=フランシスコ・ゼイモト、喜利志多侘孟太=アントニオ・ダ・モッタらとされる)が所持していたのが、長さ二、三尺の未知の兵器・火縄銃でした。当時わずか16歳だった種子島の領主・種子島時尭(ときたか)は、その威力を目の当たりにして強い衝撃を受け、家中の財力を投じて2挺の銃を二千両という莫大な対価で購入したと記録されています。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。