安中製錬所を語る上で、避けて通ることのできない重い歴史があります。それが昭和の高度経済成長期に表面化した、煙害およびカドミウムによる土壌汚染問題です。
安中製錬所は1937年(昭和12年)に操業を開始しました。戦前・戦後の復興期にかけて増産を重ねる一方、排煙に含まれる亜硫酸ガスによる農作物への被害や、碓氷川水系に排出された重金属カドミウムによる周辺水田の土壌汚染が深刻化。下流の農家を中心とした住民による激しい抗議運動が起き、損害賠償と恒久対策を求める「安中公害訴訟」へと発展しました。
長期にわたる裁判闘争と地域社会との対話を経て、東邦亜鉛は巨額の費用を投じた汚染土壌の客土(土壌入れ替え)事業を実施。さらに、行政や地域住民との間で極めて厳格な環境保全協定を締結しました。製錬プラントの敷地境界における大気測定や水質監視が24時間体制で行われるようになり、かつての対立関係は、半世紀をかけて「徹底した情報公開と環境投資による地域共生」へと昇華していったのです。
工場正門近くを流れる碓氷川の清らかな水流と、美しく整備された緑地帯は、公害の苦い教訓を血肉化してきた歴史の証左に他なりません。現在囁かれる環境基準や安全対策に関する疑念も、この過酷な過去を克服した厳格な管理体制を知れば、杞憂であることが理解できます。