『地獄の門』が未完に終わった理由と経緯には、当時の美術館建設計画の頓挫と、ロダン自身の芸術的執着が複雑に絡み合っています。当初は1885年の完成が予定されていましたが、設置先となる装飾美術館の建設計画そのものが白紙撤回されました。政府からの納期プレッシャーが消失した結果、ロダンにとって『地獄の門』は生涯をかけて自らの芸術的アイデアを注ぎ込み、解体と再構成を繰り返す「個人の実験場」へと変貌を遂げたのです。
ロダンはこの門の制作過程で生み出された無数の人物群から、優れた造形を次々と独立した作品として切り出していきました。オーギュスト・ロダンの代表作として世界的に知られる彫刻の多くは、元を辿ればすべて『地獄の門』から派生したスピンオフ作品です。
- 『考える人』:1888年に『地獄の門』から独立させ、1904年に巨大な単体ブロンズ像へと拡大鋳造。
- 『接吻(Le Baiser)』:地獄篇に登場する悲劇の恋人パオロとフランチェスカの不倫愛をモチーフとして門から独立。
- 『三つの影(Les Trois Ombres)』:地獄の門の最頂部に立ち、地獄の入口を指し示す3人の亡霊たち。
1917年にロダンが77歳でこの世を去るまで、石膏原型はアトリエで組み替えられ続け、ロダン存命中に『地獄の門』がブロンズとして鋳造されることは一度もありませんでした。現在世界で見られるブロンズ像はすべて、彫刻家の死後に鋳造職人たちが遺された石膏原型をもとに再現したものです。