「初心忘るべからず」という言葉を「スタート地点の清々しい気持ちや高い志を忘れないこと」と捉えるのは、現代における代表的な初心忘るべからずの誤用です。デジタル大辞泉などの辞書では現代的な慣用句としての意味も併記されていますが、能楽の大成者・世阿弥が意図した原義は180度異なります。
世阿弥が説いた「初心」とは、志や情熱ではなく、「芸が未熟だったころの無様さや失敗、周囲から受けた嘲笑などの苦い記憶」そのものを指しています。人間は経験を重ねて中堅やベテランの域に達すると、無意識のうちに慢心が生じ、過去のみじめな姿を記憶から消し去ろうとします。しかし世阿弥は、その「至らなさの記憶」をあえて脳裏に刻み続けることこそが、芸の退化を防ぐ唯一の防壁になると説きました。
能楽研究の第一人者による解説や伝書の註釈を紐解くと、世阿弥が『花鏡』を執筆した背景には、室町幕府の権力闘争の中で後ろ盾を失い、自らの座を守るために極限の生存競争を戦い抜かなければならなかった切迫した事情が見て取れます。失敗すれば即座に座が破滅する環境下において、「初々しい情熱」のような甘美な回顧に浸る余裕などありませんでした。彼が後世に残そうとしたのは、己の未熟さを冷徹に客観視し続けるための強靭な自制心だったのです。