輝かしい栄光の裏で、江夏の投手生命は決して平坦ではありませんでした。持病の心臓疾患や血行障害が悪化し、先発投手として長いイニングを投げ抜くことが困難になった時期、救世主となったのが南海ホークスの選手兼任監督を務めていた野村克也です。
1976年に南海へトレード移籍した江夏に対し、野村は一つの大胆な提案を持ちかけました。当時、日本球界では「先発失格の投手が回る場所」と軽視されていたリリーフ(救援投手)への専任です。プライドから難色を示す江夏に対し、野村はこう口説き落としました。
「オレとふたりで、日本の野球界に革命を起こそうじゃないか」
この言葉に心を動かされた江夏はクローザーへの転向を決意。9回の1イニングを完璧に抑え込む投球術を確立し、日本における「抑え専門職の価値」を劇的に向上させました。野村との出会いによって息を吹き返した江夏は、その後移籍した広島、そして日本ハムファイターズでもチームを優勝に導き、1981年には日本プロ野球史上初となるセ・パ両リーグでのMVP受賞という快挙を成し遂げたのです。