かつて列島を網の目のように結んだ軽便鉄道は、なぜこれほどまでに徹底して姿を消してしまったのでしょうか。歴史の記録を検証すると、単なる時代の移り変わりだけでは片付けられない、構造的な要因が浮かび上がってきます。
第1の理由は、戦後の急速なモータリゼーション(車社会の到来)です。昭和30年代以降、道路舗装の進展とともにトラックや自家用車、路線バスが普及しました。カーブが多くスピードが出せない軽便鉄道に対し、目的地まで直接物資や乗客を運べる自動車輸送は圧倒的な機動力を誇り、小規模な地方路線は瞬く間に競争力を奪われました。
第2の理由は、国鉄線との「直通不能」による積み替えコストの増大です。軌間762mmの軽便鉄道は、国鉄の1067mmレールと直接車輪を乗り入れることができません。接続駅ではすべての貨物を人手やクレーンで積み替える必要があり、これが物流において致命的な時間ロスと人件費の高騰を招きました。改軌(線路幅を広げる工事)を行う体力がなかった中小事業者は、廃止を選択せざるを得ませんでした。
第3の理由は、産業構造の転換と地方の過疎化です。木材輸送を担った森林鉄道は林道の整備と安価な輸入材の増加で役目を終え、鉱山鉄道は相次ぐ閉山によって存在意義を失いました。地方の人口減少も重なり、昭和40年代から50年代にかけて、軽便鉄道は一気に歴史の表舞台から姿を消すこととなったのです。