告発の直後、世間をさらに驚愕させたのは、二人が2010年11月下旬に極秘で正式入籍していた事実と、それとほぼ同時期に実質的な破局を迎え、年内には離婚届を提出していたという目まぐるしい展開でした。事実上の婚姻期間はわずか数か月、実生活においてはほとんど同居らしい同居も成立していなかったこの電撃破綻には、いくつかの決定的な理由が存在します。
最大の摩擦要因として浮き彫りになったのが、経済的な価値観の乖離と金銭問題です。当時、危険な紛争地取材を敢行する山路徹率いるAPF通信社は常に資金難に喘いでおり、麻木久仁子はジャーナリズムを支える目的で、私財から数千万円規模の資金援助を行っていました。しかし、家庭生活を共にしようとした際、山路の金銭感覚や経営者としての甘さが露呈し、麻木が抱いていた尊敬の念は急速に失望へと変化していったと当時の報道や関係者の証言が伝えています。
また、家庭環境の違いも大きな壁となりました。二人の間に子供はいませんでしたが、麻木久仁子には前夫との間に引き取って育てていた一人娘が存在していました。娘を守る母親としての生活基盤を最優先に考える麻木に対し、定住や家庭のルールに縛られない山路の奔放な生活習慣は相容れず、入籍してみたものの「これ以上同じ屋根の下で人生を共有することは不可能」という現実を突きつけられる結果となったのです。