ノルマントン号事件の闇|なぜ日本人は見殺しに?判決と条約改正の真実

ノルマントン号事件の闇|なぜ日本人は見殺しに?判決と条約改正の真実

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1886年10月24日午後8時頃、横浜から神戸へ向けて航行していた英国貨客船ノルマントン号(約240トン)は、暴風雨のなか紀州潮岬沖で座礁し、浸水を始めました。沈没までに要した時間は約40分から1時間。全員が脱出するための物理的な時間は十分に残されていました。しかし結果は、ドレイク船長を含む英国人船員全員が無傷で救命ボートに乗り移り生還したのに対し、運賃を支払って乗船していた日本人乗客25名(男性22名、女性3名)は全員死亡という、あまりに不自然で残酷な結末でした。

ドレイク船長は後の海難審問で、「日本人乗客に退船を促したが、英語が通じず、恐慌状態に陥って船室から出ようとしなかった」「無理やり連れ出そうとすれば暴動になる危険があったため、やむを得ず置き去りにした」と主張しました。しかし、この供述は明らかな虚偽であったことが、現場の証言や船体構造の検証から露呈しています。

当時の生存船員や救護にあたった地元・大島村(現在の和歌山県串本町)の住民による記録によると、日本人乗客に対して退船命令や遭難の事実すら正確に伝えられていませんでした。それどころか、船員たちが脱出する際、日本人乗客が甲板に押し寄せてボートを奪い合うことを恐れた船長側によって、船室の昇降口(ハッチ)が外側から閉鎖されていた疑惑すら指摘されています。言葉が通じないことを口実に避難誘導を一切放棄し、自分たち白人船員の安全確保のみを最優先して救命ボートを下ろした事実――これこそが、日本人乗客だけが誰一人助からなかった「見殺しの真相」です。

吉田 誠
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吉田 誠

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