薬師丸ひろ子との離婚の翌年、1999年に玉置浩二はキーボーディストの安藤さと子と3度目の結婚を発表します。安藤は1995年頃から玉置のソロツアーや安全地帯のサポートメンバーとして演奏を支えていた実力派ミュージシャンです。
玉置は都会の喧騒を離れ、長野県軽井沢町に居を構えました。音楽制作と自然に囲まれたスローライフを両立させ、精神的な安定を取り戻したこの時期には数々の名曲が生まれています。しかし、約8年が経過した2007年12月、2人は協議離婚を発表。「お互いに音楽を愛する仲間として、それぞれの道を歩む」という声明通り、憎しみ合いではなく自然なフェードアウトに近い形での別れでした。
そして2009年2月、世間を最も驚かせたのが石原真理子との23年ぶりの電撃復縁です。かつて1980年代に世間を騒がせた2人が手をつないで都内の区役所に婚姻届を提出し、ツーショット会見を開いた光景はワイドショーを独占しました。
ところが、この再婚劇はわずか半年足らずで完全に瓦解します。破局に至った真相には、法的な障壁と精神的なすれ違いという2つの決定的な要因がありました。
- 婚姻届の不受理(前婚の未解消):石原真理子が過去にアメリカ合衆国で結婚した元夫との離婚手続きが法的に完了していなかったため、日本の役所は婚姻届を受理しませんでした。法的には「重婚」のリスクが生じる状態となり、入籍は暗礁に乗り上げました。
- 過剰な感情の衝突と疲弊:関係修復のためにギリシャなど海外への逃避行を試みたものの、旅先で激しい口論が頻発。玉置浩二自身が精神的・肉体的に限界を迎え、帰国後に連絡を断つ形で事実上の破局を迎えました。
当時の報道や石原の手記などでも双方の主張は激しく食い違っていますが、法的手続きの不備と感情の急激な摩耗が、この短期間での破局劇の決定打となったことは客観的な事実です。