では、北斎は一体どこから富士山を眺めてこの構図を決定したのでしょうか。美術史家や熱心な愛好家の間では、長年にわたり「描かれた場所」を巡る白熱した議論が交わされてきました。代表的な候補地として挙げられるのは、山梨県側の河口湖や山中湖付近、あるいは静岡県側の御殿場や富士宮、さらには甲州街道の三ツ峠など多岐にわたります。
山肌のディテールに注目すると、山頂の火口部分に見える切れ込み(スリット)の形状や、右山腹に長く引かれた美しい稜線のカーブは、地理学的には山梨県東南部から静岡県北東部(現在の山中湖から御殿場方面)にかけての稜線アングルに極めて近い特徴を持っています。しかし、現地で実際にカメラを構えた専門家たちの検証により、ある決定的な事実が判明しています。現実の地形と厳密に一致する撮影ポイントは、地球上のどこを探しても存在しません。
北斎が目指したのは、カメラのような冷徹な写生ではなく、「観念としての富士山の究極形態」でした。実際の山肌よりも傾斜を急峻に立ち上げ、裾野のカーブを右側へ向かって極端に長く引き伸ばすことで、天に向かって上昇する富士の圧倒的な神々しさを強調しています。また、空に浮かぶ規則的な白雲は、秋の訪れを告げる巻積雲(いわし雲)をパターン化したものですが、富士山の斜面と対角線を結ぶように整然とレイアウトされています。北斎は複数の場所から観察した富士のスケッチを頭の中で解体し、完璧な幾何学的黄金比へと再構築したと結論づけられます。