事件の根底に存在したのは、大奥における二大勢力――六代将軍家宣の生母である月光院と、正室である天英院の熾烈な抗争だ。徳川家継という幼い将軍の後見を巡り、両者の間には修復不可能な溝が生まれていた。
月光院の後ろだてであった間部詮房の権勢を削ぎ落とすため、天英院側は大奥の綱紀粛正を大義名分として掲げた。絵島の一瞬の隙は、そのまま月光院派の致命的な打撃となり、結果として大奥における権力構造は一変した。政争の道具と化された絵島は、一切の弁明を許されることなく高遠へと流され、三十年以上に及ぶ幽閉生活を送ることとなる。