天海祐希の宝塚時代を語る上で、まず正確なデータを確認しておく必要がある。彼女の宝塚における足取りを時系列で追うと、「異例」という言葉が決して誇張ではないことがわかる。
1987年、天海祐希は宝塚音楽学校に入学。2年間の厳しいレッスンを経て1989年に宝塚歌劇団へ入団した。初舞台は同年の月組公演『ベルサイユのばら』。そして1993年、入団からわずか6年3か月という驚異的な早さで月組トップスターに就任した。これは当時、宝塚史上若手最短のトップ就任記録として大きく報じられた。
宝塚音楽学校入学前には、既に東京都立駒場高等学校を卒業し、大学進学の道も考えていたという。しかし、幼少期から抱いていた「男役」への憧れが勝り、周囲の反対を押し切って音楽学校を受験。身長172cmという恵まれた体格と、類まれな歌唱力・演技力が評価され、入団当初から将来のトップ候補として注目を集めていた。
天海祐希の宝塚在籍期間は1989年入団から1995年退団まで。トップ就任からわずか2年という短い期間で、彼女は月組の看板スターとして多くの舞台を牽引した。退団公演は1995年の『ミー・アンド・マイガール』。この作品は伝説的な人気を博し、チケット争奪戦が社会現象化したことでも知られる。