軍事行動の真の目的に目を向けると、単なる信長の冷酷さや感情論では説明がつかない。武者坊主を抱え、莫大な荘園領主としての経済利権と関所通行税を牛耳っていた天台宗の総本山・比叡山延暦寺は、戦国大名と同等の強力な軍事・政治勢力であった。
織田信長にとって許しがたかったのは、浅井長政・朝倉義景の連合軍と結びつき、反信長包囲網の最大の拠点として機能していた点だ。信長は事前に何度も中立化を申し入れ、領地の返還や寄進を提示して交渉を試みていた。しかし、僧兵側はこれらをことごとく拒絶する。
中世的なアジール(不可侵権)を盾に既得権益を貪り、世俗の権力闘争に深く介入する宗教勢力に対し、天下布武を掲げる信長は容赦のない断罪を下した。武力による宗教権威の屈服。それこそが、旧体制の解体を目指す信長が描いた政治的パフォーマンスの裏の冷徹な思惑だった。