稀代の美食家として知られる北大路魯山人は、鯖の扱いに関して極めて峻厳な言葉を残している。魚の鮮度と締め加減の紙一重のバランスについて語る際、彼は職人の直観と酢の質を何よりも重視した。素材の粗を隠すための酢ではなく、素材の底力を引き出すための酢。その思想の原点にも、間違いなく関西の職人たちが築いた酢締めの作法が息づいている。
近年では、昭和の遺産として片隅に追いやられかけていたこの伝統が、予期せぬ形で脚光を浴びている。『孤独のグルメ』で主人公が大阪の下町居酒屋にふらりと立ち寄り、きずしと熱燗で至福の表情を浮かべるシーンや、Netflixが世界に配信する日本のローカルフードを取り上げたドキュメンタリーの影響は小さくない。過剰な脂と甘みを押し出す現代の外食トレンドに食傷気味の現代人にとって、酢と塩だけで構築されたストイックな旨味は、逆に最もアヴァンギャルドな体験として響いているのだ。