マツケンの若い頃が超絶イケメン!ハーフ説の真相と将軍抜擢秘話

マツケンの若い頃が超絶イケメン!ハーフ説の真相と将軍抜擢秘話

マツケンの若い頃が超絶イケメン!ハーフ説の真相と将軍抜擢秘話にまつわる興味深い視点を詳しく紐解きます。

天賦の美貌に恵まれながらも、松平健の俳優への道のりは決して平坦なエリートコースではありませんでした。愛知県立三河高等学校を中退後、当初は兄を頼って上京し、東京・豊島区の寿司職人見習いとして過酷な労働に従事していました。しかし、映画や演劇への憧れを捨てきれず、自らの容姿と情熱だけを頼りに芸能界の門を叩きます。

石原プロモーションのオーディションに応募するも落選するなど、苦渋を味わった若き日の松平健。事態が急変したのは1974年、当時映画界のドンとして君臨していた昭和の怪物・勝新太郎への弟子入り直談判でした。勝新太郎の滞在するホテルに単身乗り込み、自らの熱意を訴えかけたことで、勝プロダクションが設立した俳優養成所「勝アカデミー」の第1期生として迎え入れられることになります。

弟子時代は、まさに昭和の徒弟制度そのものでした。勝新太郎の身の回りの世話をする付き人として、夜昼を問わず巨匠の背中を追い続けました。当時の手記や回顧録において、松平健は次のように語っています。

「勝先生のそばで歩き方、煙草の吸い方、目の配り方、男としての色気のすべてを目に焼き付けた。怒鳴られることも多かったが、理屈ではなく身体で表現を叩き込まれたあの数年間がなければ、役者としての自分は存在しない」

1975年に『座頭市物語』でテレビ初出演を果たすと、1976年にはNHK昼の銀河テレビ小説『丼池物語』などで頭角を現します。そして1978年、運命の歯車が大きく回転しました。テレビ朝日が社運を賭けて制作した大型時代劇『吉宗評判記 暴れん坊将軍』の主役・徳川吉宗(徳田新之助)役に、当時24歳の無名に近い松平健が大抜擢されたのです。

当時は東映京都撮影所の大御所俳優たちからも「まだ髷も似合わない若造に天下の将軍が務まるのか」と懐疑的な目で見られていました。しかし、勝新太郎直伝の殺陣の鋭さと、乗馬クラブで磨き上げた卓越した騎乗技術、そして何より圧倒的な若武者の輝きで周囲をねじ伏せ、初回から高視聴率を記録。ここから25年間・全832回にわたる不滅の金字塔が幕を開けたのです。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。