日本国内で最も広く浸透している表現といえば、「鏡よ鏡、鏡さん、世界で一番美しいのは誰?」というリズミカルな問いかけです。このセリフの元ネタ・由来は、1812年にヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟によって編纂された『子どもと家庭の童話集(KHM 53)』に収録された『白雪姫(Schneewittchen)』に遡ります。
ドイツ語の原作テキストにおいて、王妃が語りかける原文は以下の通りです。
「Spieglein, Spieglein an der Wand, wer ist die Schönste im ganzen Land?」
(壁の鏡よ、小さな鏡よ、国中で一番美しいのはだれ?)
ここで注目すべきは、「Spieglein(シュピーゲルライン)」という指小辞が使われている点です。これは「小さな鏡」「可愛らしい鏡」という親愛のニュアンスを含んでおり、王妃が自らの美を肯定してくれる鏡に対して、語りかけるように依存していた心理的距離を表しています。また、「Wand(壁)」と「Land(国)」で心地よい脚韻(ライム)が踏まれており、呪文のような響きを持たせる民話特有の口承文芸の構造が確認できます。
これに対する鏡の回答とその続きは、物語の残酷な転換点となります。鏡は常に冷酷な事実のみを告げる審判者として機能していました。
「Frau Königin, Ihr seid die Schönste hier, aber Schneewittchen ist noch tausendmal schöner als Ihr.」
(王妃様、ここではあなたが一番美しい。けれども白雪姫は、あなたより千倍も美しい)
原作における問いかけの真意は、単なる美の確認ではありませんでした。封建社会における権力と不可分であった「若さと美貌の絶対性」を確かめ、自己のアイデンティティを保つための執拗な確認儀礼だったのです。「鏡よ鏡よ鏡さん」という日本独自の語感の広がりは、明治から昭和期にかけての児童文学翻訳者たちが、ドイツ語の指小辞のニュアンスと七五調の日本語リズムを巧みに融合させた職人技の結晶といえます。