彼女の芸術を語るうえで、母であり最初の師でもある金澤泰子氏の存在を外すことはできない。絶望と不安に苛まれていた幼少期、娘の秘められた可能性を信じて5歳で筆を持たせたのが全ての始まりだった。般若心経278文字を涙ながらに書き上げた10歳の冬は、今や日本の書道史に刻まれる伝説的エピソードとして知られる。
時にぶつかり合い、時に抱き合って涙を流した母娘の物語は、単なる美しい美談にとどまらない。障害を持つ子の未来を案じる親としての葛藤、そして一人の独立した芸術家として娘を世に送り出す覚悟。二人の魂が共鳴し続けたからこそ、技巧を超えた「命の発露」とも言える独自の書風が確立されたのだ。