プロ入り後の豊田誠佑氏は、スター選手が揃う中日外野陣において、無類の勝負強さを誇るクラッチヒッターおよび外野守備の要として独自のポジションを築き上げました。
特に記憶に残るのが1982年のリーグ優勝です。勝負どころでの代打起用やスタメン出場で貴重な適時打を連発し、田尾安志氏、平野謙氏、大島康徳氏らとともに強力打線の一翼を担いました。続く1988年の星野中日初優勝時にも、ベンチの精神的支柱としてチームを鼓舞し続けました。
気になる引退理由については、度重なる肉体的な勤続疲労に加え、チームの世代交代期において球団首脳陣から「その卓越した戦術眼と統率力を、今後は若手育成の現場で生かしてほしい」と強く要請されたことが決定打となりました。惜しまれながらの引退劇は、指導者としての輝かしいセカンドキャリアの幕開けでもありました。