三木大雲氏は1972年(昭和47年)、京都府京都市の寺院に次男として生を受けました。実家が寺院であったものの、次男という立場から自らの力で僧侶としての道を切り拓く必要に迫られ、高校卒業後は仏教系大学へと進学。僧籍を取得するための修行生活へ身を投じます。しかし、その青年期は決して順風満帆なものではありませんでした。
自著の手記や過去のロングインタビューで明かされている通り、修行時代は困窮を極め、所持金が底をついて公園で段ボール生活を送るなど、過酷な極貧生活を経験しています。全国各地の寺院を巡りながら荒行を重ね、日蓮宗の厳しい修行道場として知られる「大荒行堂」における寒中百日間の荒行も成し遂げました。この時期に直面した「人間の極限状態」や「生と死の境界」での原体験が、後の説法に深い厚みをもたらす土台となっています。
転機が訪れたのは、京都市下京区にある由緒ある古刹・蓮久寺(れんきゅうじ)の第38世住職に就任した際のことです。当時の蓮久寺は本堂の老朽化が進み、多額の負債を抱えて荒れ果てた状態にありました。檀家離れが進む厳しい現実を前に、三木氏は寺の再建を誓い、昼夜を問わず奔走。後述する「怪談説法」を確立したことで全国から参拝者が集まるようになり、見事に名刹としての息吹を取り戻しました。2018年には「怪談最恐戦」で優勝を果たし、名実ともに怪談界の頂点に立った異色の経歴を持ちます。