高校・大学を経て社会人野球の名門である日本通運硬式野球部で実力を磨き上げた彼は、即戦力左腕としての揺るぎない評価を確立した。勝負どころで見せる勝負根性と、打者の手元で鋭く曲がり落ちる球筋は、早くからスカウト陣の熱い視線を集めていた。
そして迎えた2011年のNPBドラフト会議。日本野球機構(NPB)の舞台へと足を踏み入れた瞬間から、過酷なサバイバルレースが幕を開けた。ドラフト4位指名という順位は、彼にとって決して満足のいく出発点ではなかったかもしれない。しかし、プロ野球投手として生き残るための冷徹な観察眼と技術の研鑽が、ここから本格的にスタートした。