尾張一国の小領主からスタートした織田信長が、わずか20余年で本州中央部を席巻できた背景には、極めて合理的な地図上の戦略眼がありました。
信長の領国拡大ルートを地理的に追うと、常に「内陸物流の交差点」と「日本海・太平洋を結ぶ水上交通網」を最優先で確保していることがわかります。
1567年に美濃の斎藤氏を倒して岐阜城へ本拠を移した信長は、即座に関所の撤廃(楽市・楽座令の布告)を行い、商人や物資の往来を自由化しました。さらに、近江の浅井・六角氏を制圧して琵琶湖の水運を完全に掌握。琵琶湖東岸に築いた安土城は、北陸・東海・京都を結ぶ交通の結節点であり、当時の日本列島で最も情報と物資が高速で行き交うハブステーションでした。
現代のビジネスやロジスティクス論の観点からも、信長の戦略は「サプライチェーンの支配」そのものです。兵農分離によって常時動員可能な専従兵力を整え、整備された街道網を通じて迅速に大軍を急行させるインフラ整備こそが、四方を敵に囲まれながらも各個撃破を可能にした最大の勝因でした。