帝銀事件とは?毒殺ミステリーの全貌と平沢貞通の冤罪疑惑を徹底解説

帝銀事件とは?毒殺ミステリーの全貌と平沢貞通の冤罪疑惑を徹底解説

帝銀事件とは?毒殺ミステリーの全貌と平沢貞通の冤罪疑惑を徹底解説の具体的な内容に迫る! 専門的な視点で紐解きます。

1955年、最高裁判所は平沢の上告を棄却し、死刑判決が確定しました。刑事訴訟法では、判決確定から6か月以内に法務大臣が執行命令を出すことが定められています。しかし、平沢が1987年に八王子医療刑務所で肺炎により95歳で死亡するまでの32年間、歴代の法務大臣は誰ひとりとして死刑執行書に判を押しませんでした。

歴代法相が執行を躊躇した背景には、日本弁護士連合会や松本清張をはじめとする文壇関係者による「帝銀事件平沢貞通氏を救う会」の熱心な支援運動と、拭いきれない冤罪の確証がありました。当時の法務省関係者の非公式な証言によると、関係省庁内部でも「毒物の入手先が特定されておらず、物証が自白と名刺の一致しかない状況で執行すれば、万が一誤判であった際の責任は国家として背負いきれない」というコンセンサスが暗黙のうちに形成されていたとされます。

さらに、事件現場となった椎名町支店の生存者の証言が、捜査段階で平沢の容貌に合わせて誘導された事実が後援会の調査によって次々と暴かれました。平沢の持病であった精神疾患による迎合性や、奪われた小切手を換金しようとした人物と平沢の筆跡が食い違っていた点など、法医学・筆跡鑑定の両面から数々の疑問符が突きつけられ続けたのです。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。