第146回芥川龍之介賞の受賞記者会見で起きた出来事は、平成の出版史における最大のハイライトの一つとして語り継がれています。『共喰い』での受賞が決まった田中慎弥氏は、祝賀ムードに包まれる会見場へ黒のジャケット姿で現れると、祝いの場に似つかわしくない険しい眼差しを報道陣に向けました。「4回も落とされた後ですから、ここらでもらっとかないと、愛嬌がないというふうに思われても困りますので」「都知事閣下と東京都民各位のために、もらっといてやる」と言い放った場面は、テレビの生中継を通じて日本中に強烈な衝撃を与えました。
この発言が向けられた標的は明白でした。当時、選考委員を務めていた石原慎太郎氏です。石原氏は同回の選考を最後に委員を退任する意向を示しており、事前の記者会見等で「最近の芥川賞作品は小粒でバカみたいなものばかり」と公然と批判していました。田中氏にとって『共喰い』は通算5度目の候補入りであり、度重なる落選の末に掴んだ栄冠でした。石原氏による文壇見下しとも取れる物言いに対し、文字通り命を削って原稿用紙を埋めてきた無名作家の矜持が炸裂した瞬間でした。
当時の特番インタビューや手記において、田中氏は決して単なる受け狙いやパフォーマンスで暴言を吐いたのではないと告白しています。「文学とは本来、社会の礼儀正しさや迎合から最も遠い場所にあるべきもの」という揺るぎない信念が、あの不敵な表情と啖呵を生み出しました。石原氏自身も後年、この反骨精神溢れる態度を「見事なふてぶてしさ」と評するなど、作家同士の剥き出しのプライドが激突した稀有な歴史的瞬間だったと言えます。