治承4年(1180年)、頼朝が平家打倒の兵を挙げると、政子は物心両面で夫を支え、やがて鎌倉幕府の初代将軍の妻御前(正室)として君臨します。しかし、権力の拡大とともに夫婦間には激しい摩擦も生じました。
鎌倉中を震撼させた「亀の前事件」の真相
頼朝の女性関係に対する政子の怒りを示す象徴的な出来事が、寿永元年(1182年)の「亀の前事件」です。政子が長男・源頼家を妊娠・出産する前後、頼朝は伊豆時代からの愛妾である「亀の前」を寵愛し、秘密裏に逗留させていました。
これを知った政子は激怒し、継母である牧の方の親族・牧宗親に命じて、亀の前が滞在していた屋敷を完全に破壊(後妻打ち=うわなりうち)させました。頼朝は面子を潰されたとして激怒し、牧宗親の髻(もとどり)を切るという屈辱を与えましたが、政子は一切屈しませんでした。これは単なる痴話喧嘩ではなく、「北条家の娘としての尊厳」と「将軍家の正嫡を生む正妻の絶対的地位」を内外に示す政治的デモンストレーションでもありました。
長女・大姫と木曽義高の悲劇がもたらした亀裂
夫婦の間をさらに暗く覆ったのが、長女・大姫の悲哀です。平家追討の過程で人質として鎌倉へ迎えられた木曽義仲の嫡男・木曽義高と大姫は幼少ながら深く愛し合っていました。しかし、頼朝が義仲を滅ぼした際、将来の復讐を恐れて義高を処刑。これにショックを受けた大姫は深刻な心身の病に倒れ、若くして命を落とします。政子はこの件で頼朝の冷徹な政治判断に激しい憤りを覚え、夫婦の感情的な溝は深まることとなりました。