三好三人衆の正体とは?信長を震撼させた権力争いと衝撃の最期

三好三人衆の正体とは?信長を震撼させた権力争いと衝撃の最期

三好三人衆の正体とは?信長を震撼させた権力争いと衝撃の最期について重要なポイントを解説いたします。専門家の見解をお届けします。

三好三人衆の名を日本史上に刻みつけた決定的な事件が、1565年(永禄8年)5月に勃発した永禄の変です。室町幕府第13代将軍・足利義輝が二条御所において白昼堂々襲撃され、自ら刀を振るって奮戦した末に無残な死を遂げた足利義輝暗殺の凶行です。

長年、大河ドラマや歴史小説では「希代の梟雄・松永久秀が単独で企てた陰謀」として描かれる傾向がありました。しかし、残存する当時の公家日記『言継卿記』などの一次史料を精査すると、事件当日に兵を率いて御所を包囲したのは、三好長逸・岩成友通、そして松永久秀の嫡男である松永久通でした。久秀本人は大和国におり、現場の軍事指揮を執っていたのは紛れもなく三人衆だったのです。

義輝は将軍親政を目指して諸大名への介入を強め、三好政権の傀儡(かいらい)となることを激しく拒絶していました。政権の主導権を脅かされた三人衆は、足利義栄(よしひで)を新たな傀儡将軍に擁立するため、武力による現職将軍の排除という前代未聞のクーデターを断行したのです。

だが、この暴挙は三好体制の綻びを加速させました。暗殺の成功直後から、権力分配を巡って松永久秀との関係は一気に悪化。主導権を独占しようとする三人衆と、独自の権力基盤を築く久秀は激突し、畿内全域を巻き込む内戦へと突入します。1567年には、奈良の至宝が灰燼(かいじん)に帰した東大寺大仏殿の戦いが勃発。久秀陣営と三人衆陣営の市街戦によって大仏殿が炎上するという、凄惨極まる権力闘争が繰り広げられました。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。