雅子さまの療養が正式に発表されたのは2004年のことだ。ハーバード大学を卒業し、外務省の第一線で国際外交を担っていた一人の女性が、伝統と形式を何よりも重んじる皇室という異世界へと入られた。そのギャップは、想像を絶するものだったと言える。
後継者問題の重圧、過度なマスメディアの注視、自由な移動や発言の制限。これらが複合的に重なり合い、心身のバランスを崩されたのは極めて自然な反応だった。適応障害という診断名は、当時の日本においてまだ一般的に馴染みが薄く、偏見や誤解が先立つことも少なくなかったが、月日の経過とともにその苦悩の深さが正しく理解されるようになっていった。