歴史の通説では「ドイツの3B政策とイギリスの3C政策の対立が、そのまま第一次世界大戦の直接の引き金になった」と単純化されて語られがちです。しかし、近年の歴史学や外交史の史料検証では、教科書の記述だけでは見えてこない意外な事実が浮き彫りになっています。
【盲点1:開戦直前の1914年、英独はバグダード鉄道で妥協していた】
驚くべきことに、第一次世界大戦が勃発する直前の1914年6月15日、イギリスとドイツの外務省高官はロンドンで「英独鉄道協定」の草案に仮調印していました。鉄道建設の資金難に苦しんでいたドイツ側が妥協し、バグダード以南(バスラからペルシャ湾に至る最終区間)への路線延長を行わないことや、イギリス人代表を鉄道会社の理事会に受け入れることで合意していたのです。つまり、3B政策にまつわる直接的な経済・インフラ対立は、開戦の直前には外交交渉によって平和的に解決される寸前でした。大戦を引き起こしたのは鉄道そのものではなく、バルカン半島におけるオーストリアの暴走と同盟関係の自動的軍事発動だったという点が、近年の研究における重要な知見です。
【盲点2:完成しなかったバグダード鉄道】
教科書ではあたかも大動脈が全通したかのように錯覚されがちですが、バグダード鉄道は第一次世界大戦の開戦時には全体の6割程度しか完成していませんでした。特に険しいトロス山脈のトンネル工事が難航を極め、ドイツからオスマン帝国前線への直通軍事輸送は実現しませんでした。全線が一本のレールで結ばれたのは、大英帝国もドイツ帝国もオスマン帝国も崩壊した遥か後、1940年のことでした。
【盲点3:ドイツ国内でも「無謀な火遊び」と批判されていた】
3B政策はドイツ国民が一丸となって推進したわけではありませんでした。ドイツ外務省の理性的官僚や、資金調達の実務を担ったドイツ銀行の頭取ゲオルク・フォン・ジーメンスらは、イギリスを不要に刺激するペルシャ湾延伸に終始慎重でした。ヴィルヘルム2世の感情的なスタンドプレーと軍部の強硬論が、現場の実務家たちの制止を振り切って突き進んだ結果が、破滅的な孤立を招いたのです。