本作が数ある難病モノや青春恋愛小説と一線を画す最大の転換点は、ヒロイン・山内桜良の最期です。膵臓の病気の余命宣告を受け、死を見つめながら前向きに生きていたはずの彼女の命を突然奪ったのは、病魔の悪化ではなく通り魔による刺殺事件でした。
退院した桜良と「僕」がカフェで待ち合わせをし、他愛もないメールのやり取りを交わした直後、彼女はその場に現れることなく帰らぬ人となります。このあまりにも無慈悲で唐突な幕切れに対して、初見の読者や映画観客からは「なぜ病気ではなく事件なのか」「理不尽すぎて救いがない」という悲鳴にも似た反響が巻き起こりました。
しかし、この結末は決して安易なバッドエンドの演出や奇をてらったギミックではありません。物語の根底に流れる哲学を完成させるための、極めて冷徹かつ必然的なプロット設計でした。
生前、桜良は「僕」に向かってこう語りかけていました。「1日の価値は全部一緒」「明日死ぬかもしれないのは、病気の私だって、健康な君だって同じ」。私たちは無意識に、病気の人には「死」が近く、健康な人には「明日」が当たり前に訪れると錯覚して生きています。しかし現実の世界において、死は誰に対しても等しく理不尽に訪れる可能性があります。
桜良の突然の死は、彼女自身が語っていた「命の対等さ」と「今この瞬間を生きることの尊さ」を、痛烈なリアリティをもって読者に突きつけます。「病気で余命幾ばくもない少女の美しい死」という既存のロマンティシズムを徹底的に破壊することで、桜良が遺した言葉の一言ひとことが、真実の重みを持って胸に迫るのです。