凌遅刑の「凌遅」という言葉は、本来「陵遅」とも表記され、「山の緩やかな傾斜をじわじわと滑り落ちる」様を意味していました。一気に命を絶つ斬首とは異なり、生命を緩慢にすり減らしていく過程そのものが刑罰の本質でした。
清朝 処刑の公式記録や明代の法制史料によると、執行手順には厳格なプロトコルが存在していました。一般的に執行は以下のような順序で行われました。
- 胸部・乳首周辺の皮膚を削ぎ落とす
- 上腕部および大腿部の筋肉を薄く切り落とす
- 肘や膝などの関節部を断ち、四肢を順次切断する
- 腹部を切り開き、内臓を引きずり出す
- 最後に心臓を突き刺すか、首を刎ねて絶命させる
- 遺体をさらに細かく解体し、骨を砕いて晒しものにする
特に悪名高いのが凌遅刑 執行回数の多さです。明代後期の正徳年間、専横を極めた宦官・劉瑾が謀反の罪で処刑された際には、実に3357刀もの削ぎ落としが命じられたと正史『明史』等に記録されています。1日目に数百刀を削ぎ、受刑者を一旦牢に戻して粥をすすらせ、翌日・翌々日と処刑を継続したという戦慄すべき記述も存在します。