どら焼きの由来は銅鑼?弁慶伝説と関西三笠との違いを歴史から徹底解明

どら焼きの由来は銅鑼?弁慶伝説と関西三笠との違いを歴史から徹底解明

どら焼きの由来は銅鑼?弁慶伝説と関西三笠との違いを歴史から徹底解明についての最新情報をご紹介します。

私たちが今日当たり前のように口にしている「ふっくらとしたスポンジ状の生地で餡を挟んだ姿」は、最初から存在していたわけではありません。どら焼き 発祥 歴史を編纂した文献を辿ると、その形状と製法は時代ごとに劇的な技術革新を遂げています。

どら焼き 江戸時代 助六との関連を示す記録として、寛政年間(1789〜1801年)の風俗資料や『古今名物類聚』などの古記録が挙げられます。当時のどら焼きは、小麦粉を水で溶いて薄く延ばして焼き、小豆あんを中央に置いて四角く折りたたんだ、現在の「きんつば」や「クレープ」に近い1枚皮の形状でした。歌舞伎の演目『助六由縁江戸桜』の主人公・花川戸助六にちなみ、江戸・浅草の地で売り出された助六どら焼きは、手軽に食べられる庶民の軽食として親しまれていたのです。

この素朴な焼き菓子を、世界に誇る近代的和菓子へと昇華させた決定打こそが、大正3年(1914年)に東京・上野で創業した名店の手による革新でした。どら焼き うさぎや 元祖と呼ばれる所以は、初代店主・谷口喜作氏が西洋のパンケーキやカステラから着想を得て、全く新しい製法を編み出した点にあります。

従来の小麦粉と水だけの生地を脱却し、卵、砂糖、蜂蜜を贅沢に配合。さらに当時普及し始めた膨張剤(重炭酸ナトリウム=重曹)を巧みに利用することで、気泡を抱き込んだ驚くほど柔らかくキメ細やかな生地を生み出しました。そして、2枚のふんわりとした皮で瑞々しい粒あんを挟むという現代のスタイルを完成させたのです。この発明は瞬く間に東京中の和菓子職人へと伝播し、今日のスタンダードとして定着することになりました。

佐藤 大輔
著者

佐藤 大輔

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。