千里救命救急センターの設立の経緯を紐解くには、昭和40年代から50年代にかけての日本の医療体制に時計の針を戻す必要があります。当時、高度経済成長に伴う交通事故の激増によって「交通戦争」と呼ばれた時代、重度外傷患者が適切な処置を受けられず搬送先をたらい回しにされる事態が社会問題化していました。
こうした事態を打破すべく、大阪府が主導して1980年に開設されたのが「大阪府立千里救命救急センター」でした。従来の一般病院の救急外来とは一線を画し、心肺停止、重症外傷、急性冠症候群、脳卒中など生命の危機に瀕した「3次救急患者」のみを専門に受け入れる日本初の独立型施設として設計されたのです。
その後、効率的な病院機能の集約を図るため、隣接する済生会千里病院と統合され、公設民営の運営形態へと移行しました。当時の開設に携わった医師の手記には「救急車を1秒でも早く受け入れ、処置室へ直行させるための動線設計にミリ単位でこだわった」と記されており、日本の救急医学の原点ともいえる哲学が今も息づいています。