信長の報復は苛烈を極めました。天正7年12月16日、京都・六条河原へと引き出されたのは、だしをはじめとする荒木一族の妻妾や重臣の妻子など36名でした。
京の町衆が見守る中、白装束に身を包んだだしは取り乱すことなく、従容として処刑台へと進み出ました。『信長公記』には、彼女が自ら襟を正し、太刀役に対して静かに首を差し伸べた姿が克明に描かれています。その気高い振る舞いは、見物していた群衆のみならず処刑執行人たちまでも涙させたといいます。
彼女が遺したとされる辞世の句は、今も胸を打ちます。
「みがきつる きよき鏡の くもりなく ひかりをそへて 行くぞひさしき」
己の心に一点の曇りもないことを誇り、死を通じて光の世界へと旅立つ覚悟を詠んだこの歌は、戦国女性の気骨を象徴しています。なお、六条河原での処刑に続き、尼崎近くの七松では下級武士の家族や雑兵ら数百名が磔や焼き殺しに処されるという、凄惨を極めた虐殺が実行されました。