外部からは「ただ働いていない人」に見えても、そこに至るまでには深い決断や痛みが隠されているケースが極めて多い。
典型的なのが、数年に及ぶ過酷な不妊治療の末、心身ともに疲弊して退職し、そのまま夫婦二人の生活を選んだケースだ。治療が終わったからといって、傷ついた心と体がすぐに元通りになるわけではない。以前と同じようなフルタイム勤務に戻るには、人生の再構築に向けた相応の時間が必要なのだ。
さらに、親の介護や自身の持病、あるいは夫の転勤や多忙な仕事を陰で支えるリソースとしての役割など、目に見えないケア労働を引き受けているケースも多い。表に出てこないこうした事情を無視して「働かない選択」だけを切り取って非難することは、個人の人生の文脈をあまりにも無視した暴論と言わざるを得ない。