メディアからの沈黙が続いたことで、インターネットの掲示板やSNSでは「死亡説」や「重病による寝たきり説」といった過激な噂が一人歩きを始めました。しかし、これら極端な噂の真相を紐解くと、そこには過酷な肉体的試練と長きにわたる闘病生活がありました。
三木道三は、20代の頃に滞在していたジャマイカおよび日本国内で複数回の深刻な交通事故に遭っていました。その際の後遺症として頸椎の損傷や自律神経の深刻な乱れが生じ、大ヒットのプレッシャーと激務が重なった2000年代初頭に限界を迎えたのです。全身の激しい痛みや倦怠感、自律神経失調症による体調不良から、一時は日常生活すらままならない状態に陥り、長期にわたる休養とリハビリを余儀なくされていました。
自著や後の特番インタビューで本人は、「引退宣言をしたことは一度もない。ただ体が動かず、歌える状態になるまで徹底的に体を治していた」と述懐しています。体調が徐々に回復してからは、表舞台に出る代わりに他のアーティストへの楽曲提供やプロデュース、トラックメイキングなどのスタジオワークに注力し、音楽家としての牙を研ぎ澄まし続けていました。