多指症の歴史的人物として最も広く知られているのが、戦国乱世を統一した豊臣秀吉です。「秀吉の右手には親指が2本あった」という話は単なる都市伝説ではなく、同時代を生きた複数の人物による記録が明確に残されています。
代表的な史料が、織田信長や秀吉本人と直接謁見したイエズス会宣教師ルイス・フロイスが著した『日本史』です。フロイスはその中で、秀吉の容姿について「片方の手に6本の指があった」と克明に書き記しています。さらに、秀吉の盟友であった前田利家が遺した回想録『国祖遺言』にも、「太閤(秀吉)は右の手の親指が2本あり、信長公からは『六ツめ』と呼ばれていた」という趣旨の記録が存在します。
当時の医療技術では安全な切除手術を行うことが困難であったことに加え、武士の時代において多指症は「人並外れた怪力や才覚の象徴」として語られる側面もありました。秀吉自身は後年、天下人としての威厳を保つために余剰の指を隠すような仕草を見せたり、記録から抹消しようとした形跡がうかがえますが、複数の第三者記録が一致していることから、秀吉が右手の母指多指症であったことは歴史的事実と判断されています。